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千葉県木更津市、富山県氷見市、広島県東広島市

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2009年から続く高い有効求人倍率を横目に、公開されるや否や、100名超の応募を集める求人があります。募集主は、名も知られていないような地方の小さな町。仕事内容は、中小企業支援の成功例として国や全国の自治体からも注目を集める富士市産業支援センター「f-Biz(エフビズ)」モデルの中小企業コンサルティング。「強みを見いだし、お金をかけることなく、『知恵』で流れを変える」。その手法に再現性があることから、f-Bizモデルの公認コンサルタントが全国へと広がっているのです。そして今、その募集に上場企業の役員や地方自治体の首長クラスなど、いわゆるエグゼクティブといわれる人たちがこぞって手を挙げています。彼らはなぜ、自らの地位を捨ててまで、そして移住をしてまで地方に飛び込むのか。現在、実際にその仕事に取り組む3名にお話を伺いました。

募集期間:2019年6月20日(木)~2019年7月17日(水)

自己紹介

OKa-Biz副センター長 高嶋 舞
2002年、第4回にっぽんど真ん中祭り実行委員長(観客動員102万人)。2006年、産業支援第一人者である小出宗昭氏に弟子入りし、起業および産業支援の道に進む。2009年、ちいさな企業の応援団をコンセプトに独立、2014年法人化。2013年OKa-Biz開設時に副センター長に就任。2009年度経済産業省地域力連携拠点全国最年少コーディネーター、2011年度より、ぎふ女性経営者懇談会委員、2015年度より、「あいち・ウーマノミクス研究会」委員などの公職を歴任。愛知県立大学非常勤講師。3児の母。

k-Bizセンター長 澄川 誠治
1979年生まれ、島根県美濃郡美都町(現益田市)出身。1998年、島根県立益田高等学校卒業。2004年、東京大学工学部機械工学科卒業、同年株式会社リクルート入社。リクルート在籍時には不動産業界にて、最大手メガ企業から地域の地場中小企業まで幅広く担当し、広告・集客・販売戦略、商品開発・採用・人事制度改革・研修・ブランディングなどあらゆる手法で課題解決を提案。首都圏、関西圏、広島、福岡の大小さまざまなクライアントの経営に介在し、さまざまなソリューションを生み出す。退職後、釧路市ビジネスサポートセンターk-Biz・初代センター長に就任。3児の父。趣味はサッカー、アイスホッケー。

Y-bizセンター長 富松 希
1975年生まれ。広島県出身。2000年、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。同年、総合電気メーカーに入社。メーカー在籍時にはITを使ったコミュニケーション支援や知識マネジメントの研究に従事。その後、ベンチャー系コンサルティングファームを経てカナダ留学。西海岸の都市・バンクーバーにある州立ブリティッシュ・コロンビア大学にて新サービス開発とブランディングへの造詣を深める。帰国後、2009年から大手ガス会社グループのSI&ITコンサルティング企業で企画・マーケティング業務に従事。マーケティングの社内第一人者として施策の企画・運営・実施を取りまとめるほか、後進の育成にも携わる。自社技術を生かした新規事業立ち上げや海外製品の国内展開に実績を有し、技術やノウハウに着目した事業支援を得意とする。退職後、山形市ビジネスサポートセンターY-biz・初代センター長に就任。趣味はヨガ、映画と読書。

応募殺到。エグゼクティブが地位を捨てて飛び込む「地域再生」

入社までの経緯、応募の動機を教えてください。当時のお仕事を辞めてまで取り組もうと思われた理由、また、なぜそのタイミングだったのでしょうか。

澄川:自身のキャリアアップを考えたとき、地方創生という分野に大きな可能性を感じました。前職ではリクルートという会社にいたのですが、組織が急成長するなかで分業化が進み、自分が組織内で最適化されていくのを感じたんです。今は人生100年時代。70歳まで働く将来を見据えたとき、大組織から出るより残るほうがリスクは高い。そう感じてこの世界に飛び込みました。私は島根県の小さな町の出身。東京の大学へ通いビジネスの最前線で働く機会に恵まれましたが、いずれは故郷のような地方で役に立ちたいとずっと思っていたんです。釧路は大学時代、アイスホッケー部の合宿で何度も訪れた場所。人が温かく食べ物がおいしい、親しみやすい印象があったことも背中を押してくれました。

富松:地方の魅力と可能性を実感したのは、今から約10年前。カナダのバンクーバー留学時代のことです。街、自然、仕事、プライベートがバランスよく共存している地方都市の在り方をバンクーバーで目の当たりにし、地域の魅力を活かした街づくりに感動を覚えました。とはいえその時の私に「地方創生の担い手の1人になる」という具体的なイメージや目標ができたかというとそうでもなく、帰国後も都内の仕事を選びましたし、当時はそのまま続けていくと思っていました。研究開発やマーケティングといったこれまでの自分の経験がダイレクトに地方創生に活かせるとは考えていなかったですし、ニーズもあると思っていなかったからです。ただずっと魅力的な地方創りを支援したいとの思いはあり、どういった関わり方が自分にはできるのかを模索してはいました。そんな私の思いを知っていた友人から知らされたのが、夫が先に仕事の縁をいただき単身赴任をしていた山形で開設されるY-bizのセンター長募集でした。すぐに手を挙げました。

高嶋さんはf-Bizの小出センター長からのご指名でOKa-Bizの立ち上げに参加されたと伺いました。小出センター長との出会い、地域活性や中小企業支援の仕事に携わるきっかけを教えてください。

高嶋:私の原点は、学生時代に携わった「にっぽんど真ん中祭り(愛知県名古屋市)」です。多くの方の思いに触れ、「こんなに地域のことを考え動いている人がいるんだ」という衝撃と共に、彼らの力になりたいと感じるようになりました。そして知れば知るほど、地域活性化には「ビジネス」がポイントではないかと感じるようになったんです。そこでJapan Venture Awards 2005の経済産業大臣表彰を受賞された直後の小出氏(当時、SOHOしずおかインキュベーションマネージャー)に弟子入りをさせていただきました。
起業家や中小企業の多くのチャレンジャーが、朝から晩まで小出氏の元へ相談に訪れ、晴れやかな顔で帰っていく姿を目にし、「これだ!!」と感じたことを覚えています。地域活性化には、マスではなく、個の支援が大事。個の力が、束になり、マスの活性化につながる。この手法は、地域活性化に絶対に有効だと思ったのです。しかし、地域に目を向けてみても、小出氏のようなサポートをする機関は見当たらない。しかし静岡だけが特別ではなく、どの地域にも困っている人はいます。だからこそ、私自身も小出氏のような手法で中小企業をサポートし、地域の活性化、そして日本の活力を取り戻したいと思ったのです。

ご家族やまわりの反応はいかがでしたか。

澄川:移住をともなうにもかかわらず、ありがたいことに妻をはじめ家族は「応援する」と言ってくれました。まわりの友人たちも応援してくれましたね。ただ、会社を辞めることは簡単ではありませんでした。組織的な役割を期待されていたため当然ですよね。私自身も会社に恩がありますし、現状になにか不満があるわけではありませんでしたから。あくまで自分自身のキャリア設計を考えての判断。もし仮にk-Bizの選考に落ちていたら、今も前職をバリバリ続けていたと思います。
	
富松:夫も両家の両親も賛成してくれました。夫が山形に単身赴任になった2013年当時は、夫も私も山形に住み続けることを考えていたわけではありませんでした。しかし山形に足を運ぶ機会が増え、夫婦ともに市街地と自然、老舗と新しい会社が共存する山形の多様性に魅力を感じていたこともあり、山形に生活の拠点を移すことに賛成してくれました。
今回の決断に対して、友人や一緒に仕事をしてきたほとんどの人たちが応援をしてくれました。もちろん賛成だけではありませんでしたが、その人たちにはこれからの私の活動を見ていただくことでいつか理解をいただけたらいいなと思っています。

100名を超える応募者のなかから採用されたと伺いました。 ご自身で評価されたと思うポイントがあれば教えてください。

澄川:一言で言えば、「課題設定能力」だと考えています。ソリューションを急ぐのではなく、じっくりヒアリングし、現状を分析することから課題設定を丁寧に行う。そんな思考を評価いただいたのではないでしょうか。また、高額な商材である住宅に関わっていたため、商品特徴からターゲット設定を行う思考は現在の仕事にも生きています。

富松:大きく2つあると思います。ひとつは、f-Biz小出センター長の書籍やOKa-Biz秋元センター長の講演を通じてf-Bizモデルを理解し、再現するうえで重要なポイントを理解していたこと。もうひとつは、面接時に動じることなく、アイデアにつなげるためのコミュニケーションを取り続けられたことだと思います。これができたのは、年の功ならぬ経験の功。研究所、ベンチャー企業、インフラ系企業、海外といった文化の異なる組織やコミュニティで過ごした経験、社外の人を含めたさまざまな立場の人と一緒にプロジェクトを進めてきた経験を通じて培った、その時々の現場で相手を笑顔で受け止め粘り強くコミュニケーションする力が生きました。

f-Biz研修で学んだこと、印象に残るエピソードがあれば教えてください。

澄川:3カ月間みっちり中小企業のコンサルティングを学びました。半分はf-Bizモデルの支援の理解。もう半分は実践です。相談に来られる方の多くは余裕がありません。できることは限られています。たとえ正しい立派なA案をご提案したとしても、相談者が実行できなければ意味がありません。それはただの自己満足です。重要なのは、まず一歩を踏み出していただくB案をご提案できるかどうか。正しい助言がすべてではないということを思い知らされました。

富松:徹底的に相談者の方に寄り添い、共感し、リスペクトする姿勢です。私はつい提案することに意識が向きそうになるのですが、小出センター長から「提案を急ぐな。会話のなかから相談者の方の『思い』を引き出すことを大切にしなさい」とご指摘いただきました。共感とリスペクトが土台にあるビジネス視点だからこそ、相談者の方に伝わり、腑に落ち、結果につながるということを繰り返し教えていただきました。日々、忘れないように気をつけています。

高嶋:「小さなものを馬鹿にするな!」小出氏がある講演で激高された一幕は今でも忘れません。1時間半ほど小出氏が支援事例をお話しされた後、ある方が質疑応答でこう切り出しました。
「小さなチャレンジがたくさん生まれ、成果が出ていることはわかりました。でも、大企業の成果に比べれば、どんなにたくさんの中小企業に成果が出たところで、小さなこと。地域にとってそれは本当に意味があるのか」 
その質問を受けた瞬間、明らかに小出氏の顔色が変わりました。立っていた小出氏は怒りを抑えようと、上着を脱ぎ、椅子に座り、水を飲んでから、前述のようにお答えになったのです。 
小出氏の根底には常にチャレンジャーへの「リスペクト」があります。「支援家」と呼ばれる方のなかには、「指導」をしたがる方がいらっしゃいます。例えば、女性や若者のチャレンジを「女、子どもの遊び」と言ってみたり、これまでにない社会課題を解決する事業を「そんなことはビジネスにならない」と切り捨てたりするケースも目の当たりにしてきました。
しかし、本当に商品が売れるかどうかを決めるのはマーケットです。「支援家」が決めることではありません。売れないと思った商品が市場投入したら売れたというケースも、逆に大手企業が莫大な予算をかけ満を持して投入した商品が売れないということもあります。だから、私たちに彼らのチャレンジを否定する権利はない、と小出氏は口酸っぱくおっしゃいます。私たちはチャレンジされている起業家、中小事業者を尊敬し、そして今の困りごとが解決し一歩でも二歩でも進むにはどうしたら良いかをともに考えます。

他のBizのセンター長やプロジェクトマネージャーと接していて、感じることはありますか(共通点や刺激など)。

澄川:「地方で働く」というと何かのんびりしたイメージがあるかもしれませんが、どの地域のセンター長、プロジェクトマネージャーものんびりしていません。本気です。地方から、都会・世界のビジネスエリートたちと勝負しています。そんな姿を目の当たりにし、自分の選択が間違っていなかったと胸をなで下ろしました。

富松:とにかく皆さん、前向きでサポーティブです。相談者の方に対してはもちろん、いわゆる「Bizファミリー」に対しても。売り上げアップのアイデア、Biz運営のポイントなどをお互いに相談したりディスカッションしたりといったことがめずらしくありません。Y-bizの立ち上げにおいても、先輩Bizの方々の応援と知恵をたくさんいただきました。これから先、私自身もそうあろうと思います。各地のBizからの発信や活動を見ながら、新しいチャレンジへのアイデアと元気をもらっています。

高嶋:これまで中小企業支援に携わる人には経験や資格が重要視されてきました。しかし、この仕事に必要なのは「適性」だと、「コミュニケーション能力」「ビジネスセンス」「情熱」を持ち合わせた人だと小出氏は断言します。実際にOKa-Bizでは当時33歳、NPO経営者だった経験も資格もない秋元がセンター長に就任し、中小企業支援では珍しい女性の私が32歳で副センター長に就任をしました。
さまざまな分野の第一線で活躍してきた方たちが、場所は違えど同じ志を持って地域のために奮闘している。それはとても心強いことですし、これまでの経験やノウハウに触れることはとても学びが深く、刺激が多いです。

今、相談の現場で感じていらっしゃることを教えてください(やりがい、相談者の熱意、地域の可能性など)。

澄川:日々、難しさと幸せをかみしめています。これほどまでに毎日多種多様な業種・業界のことを考えることができ、具体的なアクションにまで関わることのできる職業は他にありません。これはとてつもなく楽しいといえます。しかし、「売り上げが上がる」と常に期待されている状況で期待に応え続けることは、想像していた以上に難度が高いとも感じています。

富松:地域にf-Bizモデルによる支援拠点は必要だと強く実感しています。「相談できるところがあることがとても安心」「うまくいかないことがあっても、またここに来ればいいと思えるから、気持ちがすごく楽になった」「第三者とディスカッションできるのがいい。新たな気づきがあった」など、相談者の方からうれしい言葉をいただくたび、これまでそういう「場」がなかったのだろうと思い、あらためてやりがいを感じます。
また、事業者同士のコラボレーションを支援できることも、Bizが持つ大きな意義だと思います。同じ地域で活動し互いに存在は知っていてもどう組み合わせるかという視点がなければ生まれにくいのがコラボレーションだと思います。間にBizが入り新たな視点で提案することでその実現を支援しています。いずれにしても、Y-bizからの提案を受けて行動し、フィードバックをくださる相談者の方の熱意と行動力に、地域の可能性を感じます。

高嶋:ある水産加工会社が、売り上げが下がったと相談に来られました。お話を聞くなかで、昔ながらの手間暇をかけた製法で味には自信があることがわかりました。そこで、高級なおつまみ缶などのトレンドを捉え、少量にし、おつまみとして売り方を変えることを提案しました。粘り強くチームOKa-Bizでサポートするなかで、その商品は百貨店や旅館に販路を広げ、かつ業務用卸の販路まで開拓でき、今や「忙しくてなかなかOKa-Bizにも行けないよ」とおっしゃっていただけるほどになりました。
私たちの相談は、どんな相談者の方であってもいつも1時間の1本勝負。じっくりとお話を伺い、今後の事業展開についてご提案するなかで、帰る頃には「私にもやれそう! やってみます」とおっしゃってくださいます。実際に多くの方がすぐに行動してくれ、そして継続的にOKa-Bizを活用するなかで、「お客さんが増えました」という嬉しい報告をくださいます。OKa-Bizの相談員、スタッフの喜びようといったらありません。この瞬間のやりがいは他で得ることはできないでしょう。
時には福祉事業者、製造業の方、お子様連れの起業家の方や町の和菓子店の方など、さまざまな業種のたくさんの事業者の方がお越しになります。どの方も、「今よりもよくありたい」と前向きな気持ちでお越しになります。その姿勢に私がいつも元気や勇気をいただいています。地域にはそんなチャレンジャーがたくさんいて、たくさんの可能性を秘められています。

これからの抱負を教えてください。

澄川:実際に現場で支援をしていて感じるのは、これまでの経験で勝負できるのはせいぜい1年ではないかということ。誰よりも自分自身が学び、成長し続けることでしか、必要とされる状態をキープすることはできません。世の中は常に進化し続けます。その進化を上回る成長速度を自分に課すことを心がけています。

富松:山形は勉強熱心でチャレンジ精神に富んだ経営者の方が多いと感じます。ニーズにあったセミナー、コラボレーションが起こりやすい仕掛けなど、個々の事業者の売り上げアップ支援以外の活動にも幅広く取り組んでいきたいと考えています。山形の企業や経営者の魅力を、若い人や学生の方々にも知ってもらい、企業間のコラボレーションに加えて世代間のコラボレーションも生み出していきたいです。

高嶋:OKa-Bizは年間3,000件弱の相談をアドバイザーたちとともに行っています。長くお待ちいただいている事業者の方がいること、また、まだ成果を実感いただけていない事業者の方がいることも事実です。ストイックに日々精進するなかで、より力をつけ、成果に貪欲に、多くのチャレンジャーの皆さんのお役に立っていきたいと思っています。
そして、このBizプロジェクトがこれからもっとたくさんの地域に広がり、疲弊している地域が活性化され、日本中が活性化する。その一端を担っていきたいと思っています。

応募者へのメッセージをお願いします。

澄川:どんなキャリアを積んできていたとしても、マネジメントなど管理能力が売りの人には適さない仕事だと思います。何よりも実務能力が問われるからです。自ら起業するくらいの気持ちで向き合わなければ、何も変わりません。

富松:f-Bizモデルとご自身の価値観にずれがなければ、これ以上ないやりがいを感じられる仕事だと思います。逆に、f-Bizモデルの特長を理解していなければ、選考において、そして仮に採用されたとしてもその先において困難が多いと思います。自身の可能性、そして地域への可能性を信じられる人はこれまでの経験に関係なく、ぜひ手を挙げてチャレンジしてほしいです。厳しいけれど豊かな経験があなたを待っています。

高嶋:小出氏もよくおっしゃっているように、このプロジェクトは、どの地域でも展開できる、他にはない地域活性化プロジェクト。地域住民、地域企業の持っている可能性を引き出し、その結果、地域が元気になる。そして、地域に活力が戻ることで、日本全体が元気になるはず。
私たちの一つ一つの相談がそんな可能性につながる、そんな大志を一緒に抱き、一緒にチャレンジしましょう!

掲載企業(新着順)

  • 千葉県木更津市

    千葉県木更津市

    木更津市は、東京湾アクアラインを経由して東京都心から約40分の距離に位置しており、2009年からのアクアライン通行料金800円化を契機として、大型商業施設をはじめとする企業立地の進展やベッドタウンとしての人口流入増に成功するなど、地域再生の足掛かりを得ています。
    一方で、地域産業については、商業都市・木更津を担ってきた商店街の衰退が著しく、売り上げの低迷だけでなく後継者不足による廃業も増えています。市では、こうした状況を打開し、あらゆる分野の産業を支援するためのワンストップ窓口として2015年に「木更津市産業・創業支援センター」を開設し、地元中小企業の育成や創業支援に取り組んできました。
    さらに2018年にはf-Bizモデルを本格的に導入し、「らづ-Biz」としてリニューアルオープン。1年で相談件数は前年比の3.8倍となり、現在も新規相談の予約が1カ月待ちになるほどの盛況ぶりです。しかし、相談待ちの期間が長ければ相談者の商機を逸することにもつながることから、新たにプロジェクトマネージャーを迎え、相談待ちの緩和とさらなる支援のパワーアップを図ります。
  • 富山県氷見市

    富山県氷見市

    富山県氷見市は富山市から西へ約30km、能登半島の付け根の東側に位置する人口約4万7,000人の港町です。「氷見漁港」では全国的に有名な「ひみ寒ぶり」をはじめとする約150種の魚が水揚げされ、その漁獲量は県内の約3分の1のシェアを誇っています。かつては漁港に併設された道の駅や氷見温泉郷などへの観光客も多く、また、氷見市は藤子不二雄(A)(※)先生のふるさとであることから、中心市街地商店街に点在するキャラクターが人気を博すなどピーク時には年間約47万人の宿泊客が訪れていました。
    しかし、高齢化による飲食店や旅館の担い手の減少などもあり、宿泊客は約21万人にまで半減。氷見市として人口増加の道しるべとなる「人口ビジョン」を掲げ、その一環として産業支援にも取り組んできましたが、再生の決定打となるような成果を上げられていないのが現状です。そこで導入を決めたのが北陸地方初のf-Bizモデルとなる「氷見市ビジネスサポートセンターHimi-Biz」です。氷見市が元気になれば、全国の港町、観光地にとっても希望となるはず。年収1,200万円はそんな期待の表れ。ビジネスの第一線で鍛えてこられたセンスとスキルで氷見を、そして北陸を元気にしてくださる方からのご応募をお待ちしています。
    ※藤子不二雄(A)の(A)は◯にA
  • 広島県東広島市

    広島県東広島市

    東広島市は、広島県の中央に位置する人口約19万3,000人の都市。市内を山陽新幹線や山陽自動車道、東広島・呉道路が走り、空港にも隣接する交通の要衝地です。古くは安芸国の政治・文化の中心地として、また江戸時代からは宿場町や酒造りの盛んな街として栄え、伝統的な赤瓦のある田園風景や、白壁・なまこ壁・赤瓦が織りなす酒蔵のある街並みが今なお残る歴史・文化の薫りが漂う街でもあります。また、市内には広島大学等の高等教育機関や公立・私立の中高一貫校が3校あるなど教育水準も高く、小中学校の全国学力テストは常に上位。さらに「一校一和文化学習」を実施するなど質の高い特色ある教育を実践しています。
    一方、産業分野では高度経済成長期に自動車産業や電気・通信機器産業の集積が進み、商業・サービス業などの事業者数も増加しましたが、現在は人口減や少子高齢化が課題となっており、中小企業の事業所数や売上高の低迷も懸念されています。そこで導入を決めたのが「f-Biz」モデルです。「(仮称)東広島ビジネスサポートセンター」の開設により新たな視点で経営相談・支援を強化し、一社でも多くの中小企業の売り上げアップに貢献したいと考えています。これは、今後の東広島をもっと元気にするための地元商工会議所との「本気のチャレンジ」。ぜひあなたの「ちから」を貸してください。